大日堂舞楽の由来
起源は奈良時代のにさかのぼります。この地には、夢で大日神のお告げを受け、トンボ(だんぶり)の導きによって霊泉を見つけ長者になった夫婦のだんぶり長者と呼ばれる伝説があります。伝説によると、その夫婦に生まれた娘はのちに、継体天皇の后となりました。晩年、姫は両親の他界を知り「両親の事績を後世に伝えたい」と願い、その意をくんだ天皇が、現在の秋田県鹿角市八幡平の小豆沢の地に、長者が崇拝した大日神の社を建立しました。それが大日霊貴神社です。
養老年中(717~724年)、元正天皇の大日堂再興すべしとの勅命により、都から名僧行基がつかわされ再建されることになりました。やがて九間四方の壮大な堂宇が完成し、都から音楽の博士、楽人が来て落慶の式礼が行われました。今に伝えられる祭礼の舞楽は、この時が起源とされています。
こうして里人に伝承された舞楽は、四集落で分担して奉納することになり、それぞれに地付神役として祭田が与えられました。その名称の一部は、今日まで伝承されています。
大日堂舞楽の動画
秋田県・鹿角市に伝承される行事「大日堂舞楽」。地元の人々が7つの舞を神社に奉納するこの儀式は、1300年にわたり、口伝えで受け継がれてきた。舞い手は肉食を避けるなどの厳格なしきたりに従い、舞楽を神聖なものとして捧げる。父から息子へと代々この舞を受け継いでいる家族の絆を通じて、この地域が大切に守ってきた伝統を魅せる。
大日堂舞楽の舞い
大日堂舞楽には、本舞と言われる七種目の舞いがあります。
大里は「駒舞」「鳥舞」「工匠舞」、小豆沢は「権現舞」「田楽舞」、長嶺は「烏遍舞」、谷内は「五大尊舞」が伝承されており、それぞれの集落の舞人が1月2日に奉納舞を行います。
大日堂舞楽の歴史
523年 | 継体天皇の勅願により大日神霊社(大日示現社とも伝えられる)建立 |
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718年 | 元正天皇の勅命により大日社再建。舞楽が里人に伝えられる |
1952年 | 文部省から無形文化財に指定される |
1976年5月4日 | 重要無形民俗文化財に指定される |
2009年 | ユネスコ無形文化遺産に登録される |
2013年11月3日 | 第62回神宮式年遷宮奉祝行事。伊勢・皇大神宮内宮特設舞台にて奉納。 |
2018年5月13日 | 大日堂舞楽伝承千三百年記念公演。第一部、宮内庁の現職・OBなどのメンバーから構成される十二音会の雅楽。第二部、大日堂舞楽の本舞全てを特別公開。 |
継承集落について
大日堂舞楽の能衆を出す村として、大里(おおさと)、小豆沢(あずきざわ)、長嶺(ながみね)、谷内(たにない)の四ヶ村が定められています。これらの集落には取りまとめ役の社人などが置かれ、祭田が割り当てられました。
なお、大日堂の祭田が多くあった川部(かわべ)集落からも長嶺の能衆として一人が参加することになっております。川部には熊野神社があり、鳥遍舞の五人博士が、熊野神社の神とされています。
これらの集落は、いづれも古く、縄文時代からの遺跡も多く存在する地域です。大日堂と天照皇御祖神社の境内には、鎌倉時代の板碑などが残っています。